okamurashinnのブログ

表象文化論、アニメーション、キャラクター文化、現代美術に興味があります。

『心が叫びたがっているんだ。』レビュー

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 『心が叫びたがっているんだ。』は2015年A-1 Pictures制作の劇場版アニメーション。『とらドラ!』、『とある科学の超電磁砲』、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(以下、『あの花』)、『あの夏で待ってる』『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』(以下、『オルフェンズ』)などで監督を務めた長井龍雪監督。脚本は『とらドラ!』、『あの花』、『オルフェンズ』で長井監督とタッグを組んでいた岡田麿里だ。

 物語は『あの花』と同様に、岡田の出身地・秩父を舞台に繰り広げられる青春群像劇だ。主人公・成瀬順は小さい頃に父親がラブホから出てくるところを目撃し、不倫とは知らずにそのことを母親・泉に伝えてしまう。そのことがキッカケで両親は離婚してしまった。落ち込んでいるときに順は謎の「玉子の妖精」に出会う。「玉子の妖精」は順が無闇に思ったことを口にしてしまう癖を咎め、喋れないように呪いをかける。それ以来、順は言葉を発しようとするとお腹が痛くなるため、無口な少女になっていた。

 時間は流れ、順は高校生になった。ある日、「地域ふれあい交流会」実行委員に担任教師・城嶋一基から順を含めた4人が指名されてしまう。もう一人の主人公・坂上拓実、仁藤菜月、田崎大樹がそのメンバーだ。先生の勧めるミュージカルに魅力を感じてしまった順は、歌に乗せて自分の伝えたい気持ちを言葉にするべく拓実と一緒にクラスでミュージカルを行うように働きかけていく。順は未だ喋れないままだったが、歌なら腹痛が起きないことが判明したからだ。そうして新しい人間関係ができていく中で、4人の過去が浮かび上がり、絡み合っていく。

 長くなるので詳細は省くが、紆余曲折がありながらもミュージカル本番の前日、順は拓実と菜月が話している場面に遭遇し、想いを寄せていた拓実が自分のことを好きではないという発言をしている場面を盗み見てしまう。拓実が自分ではなく菜月がまだ好きなんだと悟り、ショックで本番当日に予定をキャンセルし、昔のラブホ跡へ彼女は向かった。

 大混乱に陥った拓実たちクラスのメンバーは、主役であった順の代役を立てて拓実に順を探しに行かせることに決める。拓実は順と初めて会ったときの会話を思い出し、彼女が無口になるキッカケの場所、ラブホ跡を目指す。順を見つけた拓実にかける言葉は無かったが、順が思っている本心を全部吐き出すように彼女に要求する。彼女は拓実への不満を全てぶつけ、拓実は彼女の言葉を噛みしめるように頷く。拓実は彼女の本当の言葉を受け、その言葉を聞けて嬉しくなったから、順の言葉が人を不幸にするという彼女の思い込みを身をもって否定したのだ。そのあと順は想いを寄せてきた拓実に告白をするも、その返事は予想通りに断りの言葉だった。

 順と拓実は学校に走り、順は最後のオオトリを歌いきり、ミュージカルは終演を迎える。順の言葉はその歌に乗り、全ての人に伝わる。もちろん彼女自身にも。彼女が自分の言葉を取り戻すことでこの作品は幕を閉じる。

 

失うことで実感する「言葉」の力

 人の気持ちは言葉にしないと伝わらないことはよくあり、それだけに言葉は大きな影響力を持つ。順は幼い頃に言葉の暴発を経験してしまったある種の被害者だ。どう考えても不倫をした父親の方が悪い。しかし、母親から告げられた喋らないでという禁則の命令と離婚した父親からかけられた心無い責任転嫁によって、順は「玉子の妖精」という皮を被った自分自身への強い禁則の暗示をかけてしまうことになる。これは緘黙症と呼ばれる、ストレスで話せなくなってしまう病気に近い状態かも知れない。腹痛もストレスによるものと解釈できる。このように、彼女がとても不幸な形で言葉を失うところから物語は展開される。

 言葉を失った彼女は高校生活を静かに送っているわけだが、腹痛を我慢すれば喋れるという設定もあってか無口な少女程度で生活を送れている。しかし、人並み以上に気持ちを言葉にしたい彼女にとって、言葉を失うことは相当の苦痛だったに違いない。彼女はミュージカルに興味を持ち、歌を歌ってなら自分の気持ちを伝えられることに気づく。こうして、拓実に助けられながらミュージカルに取り組むことになる。

 順は言葉を発せられないながらも、ミュージカルの物語を考えていく過程で拓実とコミュニケーションを図っていく。言葉を介さずとも拓実と心を通わせていく反面、お互いのことをそこまで深く知ることができていないことに順は思い悩むことになる。しかし、これは誰しもが感じている普遍的な問題だ。拓実も親の離婚をきっかけに、中学のときに付き合っていた菜月をはじめとした周りの人間とのコミュニケーションを閉ざしていたのだ。順が喋れないせいではない。普段、普通に話すことができる人でも言えないことはたくさんある。一言で人間関係が円滑になるのに、その一言の暴発を恐れるせいで言葉が出てこないのだ。

 自分が抱えていた拓実への想いを、順がありったけの言葉にのせてぶつけるシーンがある。言葉は人を傷つけることもあるが、人を喜ばせることだってできることをこのシーンは教えてくれる。言葉は大きな力を持つ故に慎重に選び、発しなければいけないのだが、かと言って言葉を放棄すれば自分の抱えている思いが相手に伝わることはない。特に、劇中劇の少女の心の声として登場する順の歌は、彼女が自分の気持ちを表明する、作中で最も力強い詞だった。長年伝えられなかった母親への気持ち、そして自分で言葉を発せられない無念さを叫ぶことで順の中でも言葉を取り戻す踏ん切りがつく。自分に暗示をかけるのもその言葉だったが、それを解くのもまた自分の詞であった。

 『ここさけ』は、人を動かしていく「言葉」の力を青春群像劇という形で示した作品になっていると思う。人に話しかけてみよう、そんな提案から始まる物語だ。