友情と離別の物語-『宇宙よりも遠い場所』レビュー
2018年1月から放送が開始されたアニメ『宇宙よりも遠い場所』(以下、『よりもい』)。本作は『さくら荘のペットな彼女』や『ハナヤマタ』で監督を務めたいしづかあつこが監督、『中二病でも恋がしたい!』や『ラブライブ!』、『響け! ユーフォニアム』など多くのシリーズ構成を手がけてきた花田十輝が脚本を担当する。『ノーゲーム・ノーライフ』に続きいしづかと花田がタッグを組むのは2作目で、南極を目指す少女たちの青春物語を描くと銘打って『よりもい』は放送された。
本作のテーマが「友だちと青春」であることは間違いないのだが、「離別」をしっかりと描けていることが重要だ。宇野常寛『ゼロ年代の想像力』でも頻繁に言及されていることだが、人間の出会いと別れは常にセットだ。ゼロ年代を乗り越え、10年代を生きる私たちにとって永遠に変化しない共同体は幻想でしかない。いかに人と出会い、時間を共にして別れていくか。その人との交流の記憶を人生の糧にして生きていくことが10年代で最も語られなければいけないことだったと僕は思う。
そして、『よりもい』は10年代を総括するアニメとして、最も重要な位置を占める存在になるだろう。なぜなら青春時代における人と人との出会いから別れまでを、あらゆる角度・キャラの関係から過不足なく描けている作品だからだ。
『よりもい』を考察する上で、重要になってくるのはキャラの関係だ。この作品の主人公はキマリこと16歳の少女・玉木マリなのだが、玉木マリ、小淵沢報瀬、三宅日向、白石結月のメインメンバー4人の悩みを解決しながらストーリーは進行していく。この作品は以下のようなテーマを軸にし、「友情と離別」が描かれていると考えるとわかりやすい。
1.キマリの青春(報瀬)に対する憧れと恐怖
2.めぐみのキマリや報瀬(青春)に対する嫉妬
3.日向と友だち
4.結月と友だち
5.報瀬と貴子と吟
本稿では以上の5つの項目に注視しながら『よりもい』のメインテーマとして語られる「友情と離別」の全貌に迫っていく。
1.キマリの青春(報瀬)に対する憧れと恐怖
主人公キマリはなにか新しい挑戦を始めようとしているものの、まだ一歩踏み出せていない高校二年生。第1話「青春ひゃくまんえん」では踏み出すことへの恐怖と、新しい挑戦への身震いが描かれている。砕氷艦しらせの船影が見え、そのあとにキマリのモノローグが入る。セピア色の画面にキマリが小さい頃に砂場遊びをしていたときの映像を流しながら、彼女はこう語る。
「淀んだ水が溜まっている。それが一気に流れていくのが好きだった。決壊し、解放され、走り出す。淀みの中で蓄えた力が爆発して、全てが動き出す。」
のちの南極に行くまでのジェットコースターのような展開を予感させるシーン。そう、この1話はキマリが見たことない世界へ一歩踏み出す話だ。
自室で夢から覚めたキマリがたまたま手に取るメモ帳には、4つの項目が書いてある。「日記をつける」「一度だけ学校をサボる」「あてのない旅に出る」そして次のページに「青春する」そう書いてあった。これらの項目は青春ものの深夜アニメでもずっと扱われている題材で、例えば『涼宮ハルヒの憂鬱』の涼宮ハルヒは市内探索や孤島へ合宿に行くし、夏休みをSOS団の面々と楽しんだり、学園祭でバンドのボーカルとして活躍もする。ハルヒは不思議な現象を探すといいながら、その実大切だったのは新しい発見や出会い、友人と遊ぶこと。つまり青春的なイベントだった。『けいおん!』や『ラブライブ!』ではメンバーがそれぞれかけがえのない友人として結束し、バンドやスクールアイドルといった交流を通して青春を謳歌する。『よりもい』もこの例に漏れず、最終的には「友情」というメインテーマに向き合っていくことになる。キマリはそのメモ帳を見たのち、高校に入って1年が経っているのに、どの項目も消化できていない自分を省みる。キマリは「あてのない旅に出る」べく、幼馴染のめぐみに手伝ってもらい旅に出ようとする。しかし、キマリは今までと同じように一歩踏み出すことを躊躇ってしまった。出発しようとした日の雨の描写はキマリの不安を反映するようだった。
そんなときに彼女の前に現れたのは報瀬だ。新しい挑戦=青春する=南極に行くことという構図で描かれる本作では、そのリードオフマンとして彼女は描かれる。彼女は高校では南極に行くと言い続けていることから変人扱いされる存在だったが、キマリは南極に行くという大きな夢に向けて、恥じらいもせず邁進する報瀬に尊敬の念を抱いていた(1話での応援したいという言葉から読み取れる)。そんな報瀬も、自分と同じ等身大の女子高生だということに気付くことになる。報瀬は100万円を落とすし、確実に行く方法が無いにも関わらず、亡くなった母親のための旅だと言って頑固に南極に行くと言う。抜けたところがある彼女は、自分の至らなさを噛み締めながらも大きな目標に立ち向かっているのだ。報瀬という仲間を得てキマリは南極へと一歩踏み出す。等身大の仲間と一緒なら、同じ目標に向かえるはず。
報瀬に砕氷艦しらせの一般公開が呉であることを聞かされ、そこに来てくれれば南極に本気でついて来ると信じると言われたキマリは、迷いを抱きながらも自信を持って一歩を踏み出す。今まで踏み出せなかった勇気の一歩、青春の始まりを予感する一歩を、呉に行くことでキマリは引き寄せるのだ。
「私は旅に出る。今度こそ旅に出る。いつもと反対方向の電車に乗り、見たことのない風景を見るために。怖いけど、やめちゃいたいけど、意味のないことなのかも知れないけど、でも!」
キマリを次のステージに引き上げたのは報瀬だった。それでも、「ここではないどこか」へと行くことを決めたのはキマリ自身であることに変わりない。キマリにとって、そして報瀬にとっての青春は、友だちとの出会いによって動き出したのだ。
1話で自分の殻を打ち破ったキマリは、2話以降加速していく友だちとの青春イベントにワクワクしながら取り組むことになる。2話で歌舞伎町まで行き、副隊長・前川かなえや鮫島弓子から逃走したキマリが「私の青春動いてる気がする!」と走りながら言い放つ場面や、4話で吟隊長になぜ南極に行きたいのかと問われたシーンでは
「でも決めたのは私です。一緒に行きたいって。このまま高校生活が終わるの嫌だって。ここじゃないどこかに行きたいって」
と答えた。自分の意思に責任を持ち、胸を張って南極行きを表明するキマリに、1話の臆病さは感じられない。8話ではついにフリーマントルを離れて南極へと出港する。
「でも今の私たちは一歩踏み出せないままの高校生ではない。何かをしようとして何もできないままの17歳や16歳ではない」
という言葉が示すように、彼女たちはすでに一歩踏み出した高校生として描かれる。そして、船での生活で苦難に遭いながらも、キマリは自分で決断し、一歩踏み出したことを思い出す。「選択肢はずっとあったよ。でも選んだんだよここを」だからこの場所にいるし、自分たちの決意を胸に彼女たちは進んで行く。
変化への決断と、自分の変化・行動に責任を負うこと。今まで様々な「日常系」アニメで終点として描かれてきた変化から物語は始まる。「日常系」の終点から一歩外に踏み出す物語を『よりもい』は描こうとしていることがわかる。
2.めぐみのキマリや報瀬(青春)に対する嫉妬
めぐみとキマリは小さい頃からの幼馴染だ。高校もクラスが一緒で、いつも2人で行動している。おっちょこちょいなキマリをいつも横で聞き手役としてサポートしているのがめぐみだ。1話では、めぐみはキマリの一人旅をサポートする形でいた。キマリがやりたいということを見守り、助言するのが彼女の役割だったのだ。しかし1話後半から雲行きが怪しくなっていく。キマリが報瀬と意気投合し、一緒に南極に行くらしいことをめぐみは知る。南極行きに対するめぐみの反応は、当初の一人旅のときとは違い、極めて冷ややかだ。南極観測隊が資金難であることを理由に、行かない方がいいのではないかという主張を繰り返す。これはある意味正しい指摘ではあったのだが、キマリの行動に対して冷ややかであることに変わりはない。めぐみの気持ちは5話に至り明らかになる。
5話のカラオケに行く場面で今までの冷ややかな態度は顕在化していく。キマリ、報瀬、日向とめぐみはカラオケに行く訳だが、普通に考えて初対面の人とのカラオケは気まずいかも知れない。だが、それにしてもめぐみの嫌悪感はめぐみの帰りたさげな言動から滲み出てくるようだった。そうして、南極行きの朝に事態の全貌が明らかになる。めぐみがキマリの前に現れ、上級生が100万円のことを知っていたこと、キマリの母親が南極に行くことを知っていたこと、他にも様々な悪い噂を流していたのが自分だと告白する。つまり、めぐみは今まで独占していたキマリを報瀬たちに取られてしまう嫉妬から南極行きを阻止しようとしていたのだ。そして自分のキマリに対する独占欲にも今になって気付き、子離れならぬキマリ離れをしないといけないと考え、絶交を申し出る。
それまでふわふわと続いてきたキマリとめぐみの日常系な空間は、キマリの大きな一歩によって崩壊を迎えることになる。これはキマリが悪いということではなく、成長・変化しない少年少女はいないということが表されている。キマリが大きく変化を見せることで、今までのキマリとめぐみの関係も変化を余儀なくされる。この共依存の関係から先に脱出したのがキマリであり、5話ではめぐみがセカイ系の擁護者として描かれるのに対し、キマリは変化に憧れた脱引きこもり的な思考を持った存在として描かれるのだ。めぐみと正反対の位置に立つことになったキマリだったが、絶交を拒否することでめぐみが同じ位置に至ることを待つという意思を示した。この伏線は13話のラストシーンで回収される。めぐみもまたキマリと離れて旅に出て、南極の正反対に位置する北極へ向かった旨を伝えるのだ。人はお互いに依存しがちだが、離別はいつか訪れる。めぐみとキマリは、お互いに正反対の場所に旅をして成長し、再会を果たすことだろう。
3.日向と友だち
日向は高校を辞めてバイトに励む16歳だ。日向については2話のキマリたちとの合流、6話でのパスポート紛失事件、11話での元同級生との再会という流れで掘り下げられる。当項目では日向にとっての「友だち」がどのように変化していったのかを軸に各話を検討したい。
2話で「合格しまくって高校で怠けて落ちた奴らにざまぁみろ、って言うのが今んとこの夢」と語り仲間になった日向だが、このときの日向は人間関係をリセットし、友だちがいない状況だったと考えられる。その後に報瀬を見送り、キマリと別れる間際に日向がかける言葉が印象的だった。
「でもよかったよ。私あなた達2人のこと嫌いじゃなかったんだよね。ほらあのコンビニ多西近いから生徒いっぱい来るじゃん?」「でも2人だけはなんか別だなって。空気が違うっていうか」「うーん…何だろ? 嘘ついて無い感じ?」
など、キマリと報瀬を空気に流されている普通の高校生とは違うと評価している。このように、2話では日向の人間関係に対する敏感さ、現代日本において高校に通っていないことの不自然さが強調される。
6話では日向がパスポートを紛失し、ちょっとした騒ぎになってしまう。日向の提案は残りの3人で先にフリーマントルへ行くというものだった。日向は友だちに気を遣われることにトラウマを抱えていたのだ。しかし、自分一人で抱え込んでしまおうという日向の振る舞いに耐えられなかった報瀬は、日向を合わせた4人で絶対南極に行くということを宣言をする。南極に行くために稼いだ100万円を、報瀬は日向のために使った場面の報瀬の大胆さ、友だちとしての日向への想いは視聴者にも日向にも伝わっていたはずだ。報瀬の清々しいほどの友情への想いと、日向の友だちとして仲良くすることへの恐怖が表現されたエピソードだった。
11話では高校に通っていたときに日向を見捨てた陸上部の同期が、連絡してくる。日向は高校を辞めることで彼女たちを拒絶し、それ以来友だちとして他人と深く関わることに恐怖をおぼえていたと考えられる。そしてついに、日向の口から過去のトラウマが説明されることになる。日向は同期に見捨てられた過去をどう精算すればいいか悩んでいたが、答えを出せずにいた。しかし、日向のトラウマは思わぬ形で報瀬などの南極メンバーによって決着される。報瀬は日向の同期たちに日向を見捨てた過去の後ろめたさを抱えたまま生きていけという言葉をぶつけることで、彼女が日向を大切な友だちとして考えていることを日向自身に伝えることになるのだ。日向は報瀬たちの友情を受けることで過去の呪縛から解放され、報瀬たちを頼ってもいい存在なのだと心の底から安堵することになる。
日向にとって友だちとは、ときに裏切るものであり、お互いに気を使わせないようにしようと努力するような存在だった。しかし、報瀬たちは行動によって新たな友だち像を日向に与えることになる。苦楽を共にし、ピンチのときこそ頼れる存在になる。そういう友だちとして報瀬たちは日向に記憶されたに違いない。
4.結月と友だち
結月は幼少期からタレント活動をしている売れっ子アイドルだ。しかしその忙しさ、特異さから、日向とはまた違った方向の問題を抱えていた。結月については3話でキマリたちに友だちがどんなものかを教えてもらい、10話までの過程で彼女たちと友だちと呼べる存在になっていく。当項目では結月にとっての「友だち」がどのように変化していったのかを軸に各話を検討していく。
結月は仕事の関係で友だちと遊ぶ時間が取れず、いつも友だちをつくっては自然消滅してしまう悪循環に入ってしまっていた。彼女にとって友だちをつくることは至難の技であり、仕事よりも遥かに大切なことだった。3話で友だちが今までできたことがないと話す結月に、キマリたちは複雑な思いを抱く。キマリには当たり前のようにいる友だちを、結月は一度もつくれたことがないというのだ。楽しそうに南極に行く話をしているキマリたちを羨ましく思った結月であったが、彼女にとって驚きだったのは彼女たち3人が会ってから1ヶ月ほどしか経っていないということだ。彼女は自分でもまだ仲良くなれる余地があるのではないかと思い、この3人と友だちになるべく南極行きを決意する。
10話では結月にドラマのオファーが舞い込む。忙しくなると4人で会うのが難しくなると出演を迷っていた結月だったが、キマリは結月に「いいじゃん、もうみんな親友なんだし」という言葉をかける。自分が彼女たちの親友であることを信じられない結月は、「え?親友…?親友なんですか?」と返すことになる。親友になったことをなかなか信じない結月であったが、誕生日をキマリたちに祝ってもらい、キマリとめぐみの話を聞くことで友だちの感覚を少しずつ理解していく。10話の最後はキマリの「友達って多分ひらがな1文字だ!」という言葉で締めくくられる。結月が返した「ね」という一文字は、親友が気持ちを通わせるには十分すぎるものだったのだ。
結月の中で友だちという概念がどのように変わったのかはわからないが、少なくとも友だちは憧れのものではなく、かけがえのないものとなった。この4人での旅を終えて、結月が親友証明書を書かせることはもうなくなるだろう。今まで友だちがいなかった結月にとって、キマリたちは最初の友だちであり、心を通わせる仲間となった。
5.報瀬と貴子と吟
この作品で最もストーリーの中心として詳細に語られるのが、報瀬と貴子、吟の関係だ。報瀬の母親である貴子が南極で亡くなったことが序盤に語られ、母親の死は報瀬の南極行きの原動力として強調される。南極に行く途中でも、貴子を助けられなかった当時からの隊長・吟との関係を中心に報瀬は貴子の死と向き合っていくことになる。当項目では報瀬が貴子の死をどう受け入れていったのかを、彼女と吟の関係を踏まえながら検討する。
1,2話では報瀬の南極に行く原動力として、貴子の死が多くのシーンで提示される。貴子の死は16歳女子が南極に行くという目標を立てていることに説得力を与えるも、作中で報瀬は南極になんか行けるはずがないとバカにされている。事実、報瀬は貴子の死という原動力だけでは南極にたどり着けていなかったに違いない。キマリや日向、結月が一緒だったからこそ行けたのだろう。貴子の死はあらゆる意味で報瀬を孤独にしたが、報瀬のことを心から信じてくれる3人を集めることにもなった。
4話で再会する報瀬と吟だったが、報瀬と吟はお互いに複雑な想いを抱えていた。なぜ吟の親友であった母が助からずに彼女は帰ってきたのか、母だけがいないのはなぜなのか。そして、そうやって吟のことを責めても貴子の死は覆らないし、恐らく吟のせいで貴子が死んだのでもなければ、吟だって貴子を助けたかっただろうということを。報瀬は南極への旅の中で吟と度々話すことになり、お互いに行き違っていた心を通わせていく。7話で、貴子が亡くなった経緯と南極へ向けた想いを吟から聞いた報瀬は、貴子の南極への想いを汲み取った。なんとしてもこの船にいるメンバーで南極に行こうという報瀬の想いを、最後の自己紹介は表しているのだ。
9話で報瀬と向き合うことを決めた吟は、自分のことをどう思っているのか報瀬に問う。報瀬は
「どう思ってるかなんて全然分からない…。ただ…ただお母さんは戻ってこない。私の毎日は変わらないのに」「帰ってくるのを待っていた毎日とずっと一緒で何も変わらない。毎日毎日思うんです、まるで帰ってくるのを待っているみたいだって」「帰るには行くしかないんです。お母さんがいる宇宙よりも遠い場所に」
と答える。報瀬は母親の死を受け入れて自分の時間を前に進めるために、南極へと進むのだ。
12話で報瀬は、母親の死と向き合うための旅に終点を見出す。それは彼女が失踪した内陸基地への遠征だった。報瀬は
「でもそこに着いたらもう先はない。終わりなの。もし行って何も変わらなかったら私はきっと一生今の気持ちのままなんだって…」
という言葉を胸に、内陸基地へ行くことを躊躇う。もし内陸基地に着いても変わりばえのない風景しかなくて、貴子の死を受け入れるイベントが起こらなかったとしたら、報瀬は貴子の死を一生受け入れられずに家で彼女を待ち続けることになってしまう。それは報瀬にとっては絶望でしかなく、人生に未来を見出せないだろう。しかし、吟の
「結局、人なんて思い込みでしか行動できない。けど思い込みだけが現実の理不尽を突破し、不可能を可能にし、自分を前に進める。私はそう思っている」「けどずっとそうしてきたんじゃないの?あなたは」
という言葉が報瀬を一歩前に進めてくれた。報瀬はその思い込みで南極までやってきたことを思い出し、ついに自分の意思で最後の旅に出る。
しかし、内陸基地に着いて発した報瀬の言葉は「思い出してるんだろうね。お母さんと見たときのこと」だった。報瀬の心は凍ったままだったのだ。ここで動いたのが友だちだった。キマリたちは基地の中で貴子のノートPCを見つけ、報瀬に渡す。吟の言葉とキマリたちの行動が、報瀬にもたらした母親の形跡は、時限爆弾として作動することになる。ノートPCのパスワードは報瀬の誕生日で、最愛の娘を生前も思い続けていた演出が憎らしい。そして、起動したノートPCから溢れんばかりのメールが到着する。それは貴子の失踪後、報瀬が毎日彼女に送っていたメールだった。母親が亡くなってからその影を追い続けていた3年間の記憶が報瀬にそのまま返ってくることで、彼女の時間は動き出す。未開封のメールは報瀬に母親の死を報せるには十分なものだったのだ。
友情と離別へ-4人の新たなる旅路
4人はそれぞれの問題を南極に行くことで解決した。振り返ってみると、キマリはめぐみから離れて新しい友だちと知らない場所への旅をした。報瀬は母の死を受け入れ、友だちをつくった。日向は過去の友人関係を自分の中で整理し、友達として3人を受け入れた。結月は初めての親友をつくった。
本稿で言うところの「5.報瀬と貴子と吟」のウェイトが非常に重く、一見すると母の死を報瀬がどう受け入れるのかを最も重要視しているように思える。しかし、このようにして物語をもう一度全体から考えてみると、この物語のコアになっているものは友情と離別ということになる。非常に当たり前のことだが、この作品では出会いと別れが、一定のリアルさをもってドラマチックに描かれている。ここでいうドラマチックというのは非現実的という意味ではなく、誰にでも起こりうる可能性のある事柄をより劇的に描いているという意味だ。芝居としての誇張と現実を想起させるリアルさが上手く同居している。
依存しあうこと、孤独であり続けること、空気を読むこと、人付き合いをすること。人間関係ではよくあることだが、どれも良好な人間関係にはあたらない。お互いに相手を思いやりながらも独立した緩やかな関係、それが友だちなのではないだろうか。お互いに依存した関係ではないから、13話のラストで描かれたようにそれぞれの道を独立して歩んでいける。それでも共通の集まる場所がある。
しかし、この物語で提示される「友だち」は数多ある友だち像の一つでしかないことには留意したい。報瀬は13話の最後にこう言った。
「ここは全てが剥き出しの場所です。時間も生き物も心も。守ってくれるもの、隠れる場所が無い地です」「私たちはその中で恥ずかしい事も隠したいことも全部曝け出して泣きながら裸で真っ直ぐに自分自身に向き合いました。一緒に1つ1つ乗り越えてきました」「そして分かった気がしました。母がここを愛したのはこの景色とこの空とこの風と同じくらいに仲間と一緒に乗り越えられるその時間を愛したのだと」「何にも邪魔されず、仲間だけで乗り越えていくしかないこの空間が大好きだったんだと」
多くの友だちの在り方があるが、その中でも心を晒け出しお互いを深く知り助け合う関係。南極はそんな友だち関係を描く舞台としては最適な場所として選ばれた。友だち、仲間、家族との時間は有限であり、出会いがあれば別れもある。それでも共にする時間は最高のものであり、一生の宝物となる。報瀬にとっての母との別れは友だちを集めた。そして、その友だちとの別れも迫っているが、また長い人生の中で新しい出会いがあるだろう。母は亡くなってしまったが、またこの4人で南極に訪れれば、思い出は鮮やかに蘇る。人との別れを悲しむのではなく、時折見返すアルバムのような思い出として、新しい旅の始まりとして祝福することを教えてくれた。
それを締めくくるように、南極を離れるときに報瀬は髪をバッサリと切り落とし、PCと100万円を南極に置いていくことで貴子の死との決別・南極へ再び戻ってくるという予感を仄めかす。出会いと別れ、再会を見事にまとめ上げた素晴らしい演出であった。
私たちの社会には出会いと別れはセットで存在する。共にいる時間に本心をぶつけ合い、裸の自分をさらけ出す。そんな友だちの在り方を提案したのが本作だったのではないだろうか。友だち・家族との別れを惜しまずに、また会える日を楽しみにするというポジティブな選択がここから生まれるのだ。
最後に
このレビューはこの作品を多くの人に見て欲しいという思いで書いたが、書いた理由はもう一つある。僕はこの作品をリアルタイムで追っている間は、とても密度が高い青春ものとして毎日楽しんでいた。回を追うごとに4人は物語の中で自分と向き合い、成長していく姿が周りのリアリティある環境の中で違和感なく描かれていく。しかし、彼女たちが旅の終わりを惜しむのと一緒で、僕もこの作品が終わってしまうのがとても寂しかった。しかし、彼女たちが爽やかな別れを告げたように、僕もこの作品ともいったんの別れを告げなければいけない。本作を宝物として胸の中に仕舞い込み、僕はまた新しい作品に出会う旅に出る。人との出会いと別れと同じように作品との出会いと別れもまた、祝福すべきことなのだ。