okamurashinnのブログ

表象文化論、アニメーション、キャラクター文化、現代美術に興味があります。

宇治がつなぐ風景

 先日、宇治に行ってきた。彼の地で掴んだものがあったので、京アニについての文章の続きを書こうと思う。

 

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2013年春の京アニ本社

 

 京アニとの出会いは「京アニはいつも僕の隣にあった」で書いた通りだ。「京アニネイティブ世代」の僕は、ごく自然な成り行きで京アニを訪問しようと思った。修学旅行の合間を縫い、木幡の駅に降り立つ。とてつもない技術の作品とは裏腹に、その本社は本当にこじんまりとしたもので拍子抜けしたが、それが僕にとって初めての「巡礼」だった。僕らにとっては、作品の舞台になった場所が聖地であれば、作品が創り出された場所も漏れなく聖地だったのだ。

 その4年後に最愛の『涼宮ハルヒの憂鬱』聖地にも赴いたのだが、その話はここでは省く。初めて京アニを訪れた8年後、僕は思わぬ形で再び聖地を「巡礼」することになってしまった。青天の霹靂とはこのことで、急だったが献花しに行くと決めた。本当のことを言えば、この「巡礼」は崇高な慰霊とはほど遠いもので、自分の中で区切りをつけるためのものだった。この文章を完成させることで、僕の「巡礼」は確かに終わる。

 

 25日朝に夜行バスで京都入り。宇治を歩き、第一スタジオに献花したあとに夕飯を食べて夜行バスで帰るという計画だった。午前10時頃に宇治駅に着き、『響け! ユーフォニアム』の聖地を確認しながら街を歩く。地方の観光地特有のゆったりとした空気感が心地いい。

 

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宇治を歩く

 

 聖地を楽しむということは、その土地自体を楽しみ理解することだ。なぜなら、クリエイターたちが統合したアニメーションスケープと、そこに在るリアルスケープの再統合をする作業こそが「巡礼」なのだから。ここでいう“風景”とは空間であり、空気感である。その中で人々が実際に暮らしている。その人々は言わば、アニメーションとクリエイター、そして僕たちをつなぐ架け橋と言えるのではないだろうか。僕がその日出会ったのは、まさにそんな中の一人だった。

 

 門前町の川向こうに、ゆったりとかまえる小山がある。『ユーフォ』の主人公・久美子と麗奈が「おまつりトライアングル」で登った大吉山だ。さわらびの道を抜け、整備された砂利道を歩く。関東では珍しいクマゼミを見つけるなど、土地の空気を感じながら登っていた。大吉山の展望台ベンチに座ると、同じベンチに腰掛けていた初老の夫婦に声をかけられた。

 

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大吉山ベンチ

 

「どこから来たの?」

 

婦人の問いかけに、東京から京アニに献花をしに来たと応えた。婦人は京アニの作品について詳しくは知らないようだったが、事件については卑劣だとこぼした。聞けば、木幡周辺に住んでいて、ほぼ毎日大吉山に登っているのだという。彼女は数年前から見かける「若い子」たちについて話してくれたので、僕は『ユーフォ』の「巡礼」の歴史を振り返りながら話を聞いた。

 

「若い子が最近たくさんここに来ていてね。みんな礼儀が正しく親切で。以前は衣装を着ている子もいたわね」

 

その婦人はとても楽しそうに話す。ファンが迷惑になっていないかと聞いたのだが、やはり同じような答えが返ってくる。噂にはファンの評判を耳にしていたが、実際に地元の方からお話を伺うとまた一味違う。巡礼者が聖地を大切に巡っていたことも嬉しかったが、何より、僕たちをつなぐ場所に住む人の笑顔を見られたことが本当に嬉しくて、そこに希望を垣間見た。これが京アニの追い求めた何気ない“風景”の一部なのではないかと。

 「おまつりトライアングル」を見直すと、どうしても亡くなったクリエイターたちのことを思い出すだろう。しかし僕は同時に、大吉山で出会った婦人の笑顔を思い出すのだ。人は他人の笑顔に救われる。そんな簡単なことを忘れていた。

 京アニが紡いだアニメーションの世界と、僕たちが暮らす場所の境界である聖地・宇治。そこは世界とつながり得る交流の場所であるが故に、様々な感情が溢れている。決して作品に対して肯定的な声ばかりではなかったと思うし、その一部がこの事件を引き起こしたのかも知れない。しかし、京アニの作品が視聴者個人に届けたものだけでなく、京アニが宇治でつくり上げてきた“風景”の発見を僕は喜びたい。先の婦人だけではないのだ。三室戸の「フラワーショップはなまつ」で店主が京アニ作品とファンのことを語る姿もまた、一つの信頼の形だった。

 京アニのクリエイターたちがつくり上げたアニメーションと“風景”は、宇治を包み込むように響き渡る。あるユーフォニアム奏者が幼い娘に託した練習曲「響け! ユーフォニアム」のように優しく、真摯に。

 

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『ユーフォ』は宇治とともに歩んできた

 

 

 てらまっとさん(@teramat)が主催した献花会に参加した。献花をしたあと、第一スタジオを見た。報道されていたあの黒く焼けた建物がそのままそこに立っている。その光景を目に焼き付けたものの、宙に浮いた気持ちはそのままだった。そのあとふと、こう思った。僕にとっての喪の作業は言葉を手向けることなのだと。そうして今、ようやく僕の「巡礼」が終わる。

 京アニのクリエイターたちへの賞賛に、僕はこの言葉を選びたい。

 

「宇治は本当にいい場所だったよ!」

 

 

虚構への侵犯に打ち勝つ現実の希望を信じて。

 

2019年8月31日 岡村真之介