okamurashinnのブログ

表象文化論、アニメーション、キャラクター文化、現代美術に興味があります。

京アニはいつも僕の隣にあった

 僕が京アニの作品を初めて見たのは2008年頃、中学生のときだったと思う。そのとき僕が見たのは『涼宮ハルヒの憂鬱』だった。日常に隠された非日常をめぐる青春譚は多くの若者をときめかせ、そのダンスは社会現象を引き起こしたとも言われている。例に漏れず、僕も京アニのアニメに熱狂したファンの一人だった。

 フォローしていない作品が多数あるものの、それ以来僕は京アニの動向を追い続けてきた。09年にはアニオタでない同級生さえも見ていた『けいおん!』が放送され、13年の『Free!』では女性ファンの獲得に成功し、京アニゼロ年代から10年代にかけて飛躍を遂げていた。僕の周りにはアニメのことを話す友人がいたが、その中でも京アニは常に話題の中心にあった。まさに僕たちの世代は、思春期に京アニ作品を浴びるように吸収してきた「京アニネイティブ世代」であったと言える。

 そんな僕にとって今回の襲撃事件はただただショックで、生まれてから最も衝撃を受けたできごとだったと思う。11年の東北の震災はどこか遠くのできごとであったし、90年代のオウム関連事件に至っては生まれた頃である。僕の世界に欠かせない作品をつくっている人たちが35人も亡くなられたという事実は、親族が亡くなるのと同じくらいに僕を打ちのめした。

 正直、ここまでショックを受けるとは思っていなかったのだ、、、クリエイター個々人との交流があったわけでもないし、どなたが亡くなったのかもいまだにわからない。しかし、彼らの仕事を言葉で世に伝えるのが僕たちの使命であり、僕たちは彼らのつくったアニメを目を皿のようにして見てきた。彼らの軌跡を辿る中で、誰もがその熱意とこだわりを確かに受け取っていた。

 

 最新作のひとつ、『響け! ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~』のキャラクター二人の会話をどうしても思い出してしまう。

 

 

奏「頑張るってなんですか?上手くなってどうするんですか?」

 

久美子「私は頑張ればなにかがあるって信じてる。それは絶対無駄じゃない。」

 

 

 本作の核にもなっているこの会話は、作品に携わっていたクリエイターたちの頭の隅にあり続けていたと僕は思う。そして、この久美子の言葉を信じてもいたはずだ。彼らは久美子の言う「なにか」をつかめていただろうか? 志半ばの方も多くいたと考えると、本当に無念でならない。ご遺族には心からお悔やみ申し上げたい。

 現実は非情でひたすらにつらいが、それでも僕は言いたい。彼らが人生をかけた京アニの作品たちに、あのワンシーン、あのワンカットに出会えて良かった。京アニに出会わなければ、間違いなく今の僕はないのだから。復興には時間がかかるだろうし、京アニの前にはまだまだ苦難が立ちはだかるかも知れない。しかし、僕は一ファンとして、京アニが新たな物語を紡ぐ世界をもう一度見たいのだ。

 

 ワガママを書いてしまったが、京アニに支援と時間が必要であることは明らかだ。被害に遭われたクリエイターの皆様とご遺族のケアが最優先であることは明記しておきたい。八田社長の力強い言葉を信じて、僕は京アニの復興をただただ祈っている。

 

 今までの感謝と、これからの希望を信じて。

 

2019年8月1日 岡村真之介