okamurashinnのブログ

表象文化論、アニメーション、キャラクター文化、現代美術に興味があります。

『HELLO WORLD』レビュー

フラクタル構造のように無限に分岐する京都。

その可能世界の一つが主人公・堅書直実だった。

 

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本作は、一人の人間が選択する行動によって分岐する世界を描写している。

最近のアニメ作品では、『彼方のアストラ』(2019)が近いテーマを掲げていた。生物学的に同じ人間であるはずのクローンが、異なる経験によって異なる人間として成長する。『彼方のアストラ』はその差を、人との出会いとかけがえのない友情・絆という形で描き切ったが、本作はそれとは少し異なる角度から分岐する世界を描く。

本作の序盤パートを見ているとき、最強マニュアルは攻略本で、この作品世界は「ギャルゲー」じゃん、などと私は思っていた。しかしこれは少し間違っていた。ノベルゲームの選択肢は数えるほどしかないが、直実という存在は無限とも言える選択肢と分岐をこの世界に見出したのだ。それが自動修復プログラムに抗うということであり、ラストの無数の可能世界だった。

つまり、人間を形づくる上での選択と結果を物語世界の構造にまで落とし込もうとしたのが本作だった。ただのデータであったはずの直実が選択していく様は、僕たちがシナリオ通りに動いている人形だと思っていたキャラクターにも選択できる主体性があるのではないかと提言するかのようだ。

 

 

キャラクターを一つの意思を持った主体として描く一方で、ある種のプログラムのように見せているのも本作である。

僕が「ギャルゲー」じゃん、と思った理由はここにもあった。オタク文化でお馴染みのクーデレという典型的な属性の一つを、ヒロイン・一行瑠璃が忠実に実行しているのだ。一行さんは登場時、古風な堅物キャラとして描かれる。携帯もろくに使えないし、マシーンのような丁寧語が似合う完璧な容姿。しかし、直実が彼女と親交を深めるごとに、彼女はデレの部分を見せてくる。素っ気ない語調が減り、可愛らしい振る舞いと表情を徐々に見せるようになる。彼女自身のぎこちない振る舞いと3DCGモデルの動きのぎこちなさ・演出の大袈裟さも、クーデレという不器用な属性を体現する。まさにクーデレヒロインとして彼女はパーフェクトなのだ。

それに対して、可愛らしさの極地として描かれる三鈴は、キャラデザ/作監堀口悠紀子がこれまで積み上げてきた女性キャラの完成形だ。少女漫画のような、笑顔とともに出てくるキラキラしたエフェクトと、洗練されたポーズにその可愛さは象徴される。ヒロインたり得る2人には、明確な属性がインストールされていたのだ。

一行さんは理想のクーデレヒロインとして描かれることに加え、システマティックな存在にも見える。彼女の行動はどこまでいっても直実/ナオミの選択に依存し、彼の決断から弾き出された結果、つまりはプログラムそのものではないのか。ヒロインがそれぞれの属性を忠実に実行し、その行動は主人公・直実に規定されている。これが僕が感じた「ギャルゲー」らしさの全貌だ。

 

本作はキャラクターの中に潜む主・従の関係をSF的枠組みを使って見せようとした作品と言えるだろう。どこまで意図したものかはわからないが、直実と一行さんをこの表現・脚本で描いたことでキャラクターの本質の一片を見ることができた。

 

 

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映画『HELLO WORLD(ハロー・ワールド)』予告【2019年9月20日(金)公開】 https://youtu.be/shoWFRnNoWw

 

ただ、この作品の演出の物足りなさは欠点としても見られるべきだろう。先述の理由でぎこちない動きの告白シーンは非常に良かったが、河原で好きな本について2人で語り合うシーンの美しい一行さんのショットは、一枚絵としての迫力と繊細さに欠けて見えてしまった。それはクーデレという属性を離れ、ただ美しいだけの一行さんを切り取ろうとした結果だったのかもしれない。

グラフィニカ元請のオリジナルアニメ『楽園追放』(2014)は、その電脳世界という設定と3DCGという手法が物語レベルでもビジュアルレベルでもマッチしていた。それに対して本作は、データ上とは言っても、舞台にしているのは実在する京都の街並みだ。背景は緻密な描き込みがされているだけに、3DCGキャラとの調和は難しく見えた。常にモデルと背景がレイヤーとして分離する本作の作品世界は、鑑賞者に作品世界とキャラとのズレを意識させる。それが意図的なものだったとしても、鑑賞者には作画崩壊を見たときのような違和を感じさせることになるだろう。セルルック3DCGにおいて着実にモデルと背景の距離は縮まっているように見えるが、本作を見てもわかるようにまだ完成という段階には至っていない。

 

 

 

かなり大雑把ではあるものの、僕が感じた「選択する直実」と「規定される一行さん」という構図から作品の主題を読み解いてみた。堀口悠紀子がコアとなって原画からつくり上げていたと思われる一行さんと三鈴は抜群にいいキャラだったのがとても印象的な作品だった。堀口絵は3DCGに合う! と『22/7』に引き続き思わせてくれた反面、その演出のハードルはいまだ非常に高いことが見てとれた。

また、扱っている主体と選択についての問題提起は推せるのだが、これは終始主人公・直実/ナオミの問題であり、一行さんは物語上ギミックとしてしか存在していないように感じた。「あなたは型書さんじゃない」という一行さんのセリフもあったが、これは一行さんの意志というよりかは、直実/ナオミのアイデンティティ確認の意味合いの方が強かっただろう。キャラクターの演技としては生き生きしていた一行さんと三鈴であったが、物語レベルでは死んでいたのが非常に残念だ。このレビューをそのまま受け取ると、意図して殺していたということになってしまうが。

"Violet Evergarden Gaiden -Eternity and the Auto-Memory Doll" review

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@Shinjuku Piccadilly

The animation Violet Evergarden (2018) (hereinafter called VE”) is a story that a former girl soldier touches the hearts of various people through letter writing and finds many emotions.  Through her encounters, she slowly changes from an emotionless doll to an independent girl.

 

This work is the sequel to the TV series. The story follows the relationship between the heroine, Violet, the girl, Isabella, and the sister, Taylor, who has no blood.  It consists of two parts, with the first part depicting Isabella and Violet in girls' school life and the second part depicting grown-up Taylor.

 

VE depicts how Violet live independently after the death of Gilbert, the foster parent of the her. In this work, which is a Gaiden, we have taken up sisters who chose to farewell to live.  What I remembered while watching this animation was Liz and the Blue Bird (2018) (hereinafter called Liz”). Liz is a story that two girls who have been close for many years choose to leave each other for happiness, and this Gaiden also seems to be a work that inherits a theme similar to Liz.  While Liz depicts conflicts and decisions until separation, this work presents an urgent question of what to live in a situation where you have to live away.

 

Aside from the beauty of the image, the direction and the scenario was very impressive.

 

The key to this series is the sense of distance.

 

For example, the time lapse that frequently appears in VE makes you feel distance by expressing the passage of time.  Time lapse was used for episodes 1, 5, 6, 7, 11, and 13, but it was particularly effective in episode 11 No one wants to die anymore.  In order to deliver a letter entrusted to Aidan, who has been out of breath, Violet delivers the letter to his parents and Aidan's childhood friend Maria.  The dead Aidan and their endless distance were entrusted to the time lapse of the dawn sky.

 

In this work, the presence of time lapse is large, and the school life of Violet and Isabella's foam in the first half and Benedict's investigation into where Isabella (Amy) is located are impressed as the flow of time itself.

 

It is also important to describe the journey in the latter half.  From the city of Leiden where Taylor arrived on her own, she was taken to Benedict and headed to Isabella's castle far away.

 

The psychological distance is naturally included here.  It will be obvious that Isabella's past conflict with herself is synchronized with the past of Violet handled by VE.  Amy (=Isabella), who couldn't do anything to do with Taylor, and Violet, who took many lives as a "military aircraft" during the war.  They had a past that they had to face together.  In the first half of this work, there are scenes where Isabella and Violet are reflected in the mirror, glass, and eyes.  The skillful production that expresses the gap between the past myself and the present one was shining.

 

In this work, the theme is to connect distance with letters, such as scattered time lapse, motorcycle trip in the second half, and mirror image of the first half.  Even though there are few examples like this, it is clear that this work was highly directed at the story level.  Along with the words of violet, Let people have a desire to deliver. There is no letter that doesn't need to be delivered,” and letters always connect people over distance.

 

In VE”, as a episode where Violet who have been struggling with the past find the reason for living in the future, this work will increase the value of the entire series.  The development of Isabella (=Amy) 's personal story was revealed, and the development from the last half, where my sister Taylor was the main, was also wonderful.  (According to the pamphlet, it was originally planned to have an OVA project of two episodes.) Even when viewed as an independent work, it is a completeness that can be compared with Liz”, which also fits in the form of Gaiden, and as a sequel, it may have been a wonderful work in terms of reinforcing the unsatisfactory narrative of VE.

 

Although this work boasts a high degree of perfection as a sequel to "VE", it is also excellent as a work that depict after "Liz".  As pointed out at the beginning, this work is also a separate story, and can be seen as a work depicting the future of Nozomi and Mizore.  I thought the letter had the power to make dis joint joint.

 

This time, I was able to see the work only at a rough production and story level, but I would like to see more details in the second time.  Even at the story level, there are many works that draw a separation, not just anime, and there are many options for comparison.  Even within my observation range, I've been picking up in recent years, such as A place farther than the universe “(2018), Comic Girls (2018), MAQUIA: When the Promised Flower Blooms (2018)  It is a major theme in many works.

 

As for the impression of the work at the first look, I was only surprised by the high degree of perfection of the work, because it was a Gaiden that did not have the expected value.  In particular, Haruka Fujita was the first director, so there are expectations for future directors.

 

While I can't wait to see KyoAni's work in the future, I can easily imagine that KyoAni is in a very difficult phase, losing much of the production team in the attack.  We have also decided to postpone the release of the movie Violet Evergarden.  I pray for the physical and mental recovery of the victims and their families.

 

2019/09/08 Sinnosuke Okamura

 

2019/09/17 Error correction is done(underline).

 

Powerd by Google Translate. (I changed some expressions.)

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 -永遠と自動式手記人形-』レビューver.1

ネタバレを含みますが、何より作品をご覧になった方に読んでもらいたいレビューです。ご留意ください。

 

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公開日、新宿ピカデリーにて。次作予告のあとには拍手が起こった

アニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』(2018)(以下、『VE』)は、元少女兵が手紙の代筆業を通して様々な人の心に触れ、多くの感情を見つける物語だ。彼女は出会いを通して、無感情の人形から自立した少女へゆっくりと変化していく。

本作はTVシリーズ後の時系列で、主人公・ヴァイオレットと少女・イザベラ、血のつながらない妹・テイラーの関係を追った物語である。二部構成になっており、前半部はイザベラとヴァイオレットの女学校生活、後半部はそれから三年後、テイラーの成長を描く。

 

『VE』では育ての親であるギルベルト亡き後、ヴァイオレットがいかに自立して生きていくかが描かれていた。外伝である本作では、生きるためにあえて別れを選んだ姉妹を取り上げている。私がこの作品を見ていて思い出したのは『リズと青い鳥』(2018)(以下、『リズ』)だ。『リズ』は長年親しくしてきた少女二人が、お互いの幸せのためにあえて離れる選択をする作品で、本作も『リズ』と似たようなテーマを引き継いだ作品に見える。『リズ』は別離までの葛藤と決断を描いているのに対して、本作は離れて暮らさざるを得ない状況の中で何を糧に生きるのかが、切迫した問題として提示される。

 

映像の美麗さもさることながら、非常に緻密な演出と脚本の構成が見事だった。

本シリーズにおいて肝になっているのが「距離」の感覚だ。

例えば『VE』で頻出するタイムラプスは、時間の経過を表現することで「距離」を感じさせる。1,5,6,7,11,13話にタイムラプスは使用されているが、特に11話「もう、誰も死なせたくない」のそれは効果的だった。生き絶えた依頼人・エイダンから託された手紙を届けるため、ヴァイオレットは彼の両親とエイダンの幼馴染・マリアへ手紙を届ける。亡くなったエイダンと生きている彼らの果てしない「距離」が夜明けの空のタイムラプスに託されていた。

本作でもタイムラプスの存在感は大きく、前半部のヴァイオレットとイザベラの泡沫の学園生活や、ベネディクトがイザベラ(エイミー)の居場所を調査する過程を、時の流れそのものとして印象づける。

また、後半部の旅の描写も重要だ。テイラーが自力でたどり着いたライデンの街から、彼女はベネディクトに連れられ、遠く離れたイザベラの居城にバイクで向かうことになる。

心理的な「距離」もここには当然含まれる。イザベラが抱える過去の自分との葛藤は、『VE』で扱われたヴァイオレットが抱えていた過去ともシンクロするのは自明だろう。テイラーに姉らしいことを何もしてやれなかったエイミー(イザベラ)と戦時中に“兵機”として多くの命を奪ってきたヴァイオレット。二人はともに向き合わなければならない過去を持っていたのだ。本作前半部では、鏡やガラス、瞳にイザベラ、ヴァイオレットが映り込むシーンが散見される。過去の自分と現在の自分のズレを表現する巧みな演出が光っていた。

散りばめられたタイムラプス、後半部のバイク旅、前半部の鏡像など、本作でも「距離」を手紙でつなぐというテーマを踏襲した演出をしている。このように数少ない事例ながらも、本作は物語レベルを意識した高度な演出がなされていたことがよく分かる。「人には届けたい想いがあるのです。届かなくていい手紙なんてないのですよ」というヴァイオレットの言葉とともに、「距離」を超えて手紙は必ず人と人をつなぐのだ。

 

『VE』ではひたすら過去と格闘していたヴァイオレットが、これから未来を生きていくための理由を見つけるエピソードとして、本作はシリーズ全体の価値を高める内容になっている。イザベラ(エイミー)の身の上話が明かされる前半部ラストから、妹のテイラーがメインになる後半部への展開も見事だった。(パンフレットによると、元々は二話ほどのOVA企画を予定していたとのこと。)単体で見ても、同じく外伝という形式に収まる『リズ』と比較できる完成度であるし、続編としても『VE』で物足りなかった物語面を補強しているという点で、素晴らしい作品になったのではないだろうか。

『VE』続編として高い完成度を誇る本作だが、同時に『リズ』以後を描く作品としても優れている。冒頭で指摘したように本作も別離の物語であり、希美とみぞれのこれからを描く作品にも見えるのだ。手紙は「dis joint」を「joint」にする力を秘めていると、私は思った。

 

 

 

今回は大雑把な演出・物語レベルでしか作品を見ることができなかったが、2回目でより細かいところも見ていきたいなと。物語レベルで言っても別離を描く作品はアニメに限らず非常に多く、比較検討の選択肢は多いです。僕の観測範囲内でも『宇宙よりも遠い場所』(2018)、『こみっくがーるず』(2018)、『さよならの朝に約束の花をかざろう』(2018)など近年取り上げてきた多くの作品で主要テーマとなっています。

初見での作品の印象を言うと、外伝ということでそこまで期待値をしていなかった分、作品の高い完成度に驚かされるばかりでした。特に藤田春香さんは初監督だったということで、今後の監督作品にも期待がかかります。

これからの京アニ作品が楽しみになる一方で、京アニは製作陣の多くを襲撃事件で失い、大変難しい局面にあることは容易に想像できます。『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の公開延期も決定しました。改めて被害者やご家族の身体・精神面での回復をお祈りします。

 

2019年9月8日 岡村真之介

 

2019年9月17日 下線部の加筆修正

宇治がつなぐ風景

 先日、宇治に行ってきた。彼の地で掴んだものがあったので、京アニについての文章の続きを書こうと思う。

 

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2013年春の京アニ本社

 

 京アニとの出会いは「京アニはいつも僕の隣にあった」で書いた通りだ。「京アニネイティブ世代」の僕は、ごく自然な成り行きで京アニを訪問しようと思った。修学旅行の合間を縫い、木幡の駅に降り立つ。とてつもない技術の作品とは裏腹に、その本社は本当にこじんまりとしたもので拍子抜けしたが、それが僕にとって初めての「巡礼」だった。僕らにとっては、作品の舞台になった場所が聖地であれば、作品が創り出された場所も漏れなく聖地だったのだ。

 その4年後に最愛の『涼宮ハルヒの憂鬱』聖地にも赴いたのだが、その話はここでは省く。初めて京アニを訪れた8年後、僕は思わぬ形で再び聖地を「巡礼」することになってしまった。青天の霹靂とはこのことで、急だったが献花しに行くと決めた。本当のことを言えば、この「巡礼」は崇高な慰霊とはほど遠いもので、自分の中で区切りをつけるためのものだった。この文章を完成させることで、僕の「巡礼」は確かに終わる。

 

 25日朝に夜行バスで京都入り。宇治を歩き、第一スタジオに献花したあとに夕飯を食べて夜行バスで帰るという計画だった。午前10時頃に宇治駅に着き、『響け! ユーフォニアム』の聖地を確認しながら街を歩く。地方の観光地特有のゆったりとした空気感が心地いい。

 

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宇治を歩く

 

 聖地を楽しむということは、その土地自体を楽しみ理解することだ。なぜなら、クリエイターたちが統合したアニメーションスケープと、そこに在るリアルスケープの再統合をする作業こそが「巡礼」なのだから。ここでいう“風景”とは空間であり、空気感である。その中で人々が実際に暮らしている。その人々は言わば、アニメーションとクリエイター、そして僕たちをつなぐ架け橋と言えるのではないだろうか。僕がその日出会ったのは、まさにそんな中の一人だった。

 

 門前町の川向こうに、ゆったりとかまえる小山がある。『ユーフォ』の主人公・久美子と麗奈が「おまつりトライアングル」で登った大吉山だ。さわらびの道を抜け、整備された砂利道を歩く。関東では珍しいクマゼミを見つけるなど、土地の空気を感じながら登っていた。大吉山の展望台ベンチに座ると、同じベンチに腰掛けていた初老の夫婦に声をかけられた。

 

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大吉山ベンチ

 

「どこから来たの?」

 

婦人の問いかけに、東京から京アニに献花をしに来たと応えた。婦人は京アニの作品について詳しくは知らないようだったが、事件については卑劣だとこぼした。聞けば、木幡周辺に住んでいて、ほぼ毎日大吉山に登っているのだという。彼女は数年前から見かける「若い子」たちについて話してくれたので、僕は『ユーフォ』の「巡礼」の歴史を振り返りながら話を聞いた。

 

「若い子が最近たくさんここに来ていてね。みんな礼儀が正しく親切で。以前は衣装を着ている子もいたわね」

 

その婦人はとても楽しそうに話す。ファンが迷惑になっていないかと聞いたのだが、やはり同じような答えが返ってくる。噂にはファンの評判を耳にしていたが、実際に地元の方からお話を伺うとまた一味違う。巡礼者が聖地を大切に巡っていたことも嬉しかったが、何より、僕たちをつなぐ場所に住む人の笑顔を見られたことが本当に嬉しくて、そこに希望を垣間見た。これが京アニの追い求めた何気ない“風景”の一部なのではないかと。

 「おまつりトライアングル」を見直すと、どうしても亡くなったクリエイターたちのことを思い出すだろう。しかし僕は同時に、大吉山で出会った婦人の笑顔を思い出すのだ。人は他人の笑顔に救われる。そんな簡単なことを忘れていた。

 京アニが紡いだアニメーションの世界と、僕たちが暮らす場所の境界である聖地・宇治。そこは世界とつながり得る交流の場所であるが故に、様々な感情が溢れている。決して作品に対して肯定的な声ばかりではなかったと思うし、その一部がこの事件を引き起こしたのかも知れない。しかし、京アニの作品が視聴者個人に届けたものだけでなく、京アニが宇治でつくり上げてきた“風景”の発見を僕は喜びたい。先の婦人だけではないのだ。三室戸の「フラワーショップはなまつ」で店主が京アニ作品とファンのことを語る姿もまた、一つの信頼の形だった。

 京アニのクリエイターたちがつくり上げたアニメーションと“風景”は、宇治を包み込むように響き渡る。あるユーフォニアム奏者が幼い娘に託した練習曲「響け! ユーフォニアム」のように優しく、真摯に。

 

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『ユーフォ』は宇治とともに歩んできた

 

 

 てらまっとさん(@teramat)が主催した献花会に参加した。献花をしたあと、第一スタジオを見た。報道されていたあの黒く焼けた建物がそのままそこに立っている。その光景を目に焼き付けたものの、宙に浮いた気持ちはそのままだった。そのあとふと、こう思った。僕にとっての喪の作業は言葉を手向けることなのだと。そうして今、ようやく僕の「巡礼」が終わる。

 京アニのクリエイターたちへの賞賛に、僕はこの言葉を選びたい。

 

「宇治は本当にいい場所だったよ!」

 

 

虚構への侵犯に打ち勝つ現実の希望を信じて。

 

2019年8月31日 岡村真之介

京アニはいつも僕の隣にあった

 僕が京アニの作品を初めて見たのは2008年頃、中学生のときだったと思う。そのとき僕が見たのは『涼宮ハルヒの憂鬱』だった。日常に隠された非日常をめぐる青春譚は多くの若者をときめかせ、そのダンスは社会現象を引き起こしたとも言われている。例に漏れず、僕も京アニのアニメに熱狂したファンの一人だった。

 フォローしていない作品が多数あるものの、それ以来僕は京アニの動向を追い続けてきた。09年にはアニオタでない同級生さえも見ていた『けいおん!』が放送され、13年の『Free!』では女性ファンの獲得に成功し、京アニゼロ年代から10年代にかけて飛躍を遂げていた。僕の周りにはアニメのことを話す友人がいたが、その中でも京アニは常に話題の中心にあった。まさに僕たちの世代は、思春期に京アニ作品を浴びるように吸収してきた「京アニネイティブ世代」であったと言える。

 そんな僕にとって今回の襲撃事件はただただショックで、生まれてから最も衝撃を受けたできごとだったと思う。11年の東北の震災はどこか遠くのできごとであったし、90年代のオウム関連事件に至っては生まれた頃である。僕の世界に欠かせない作品をつくっている人たちが35人も亡くなられたという事実は、親族が亡くなるのと同じくらいに僕を打ちのめした。

 正直、ここまでショックを受けるとは思っていなかったのだ、、、クリエイター個々人との交流があったわけでもないし、どなたが亡くなったのかもいまだにわからない。しかし、彼らの仕事を言葉で世に伝えるのが僕たちの使命であり、僕たちは彼らのつくったアニメを目を皿のようにして見てきた。彼らの軌跡を辿る中で、誰もがその熱意とこだわりを確かに受け取っていた。

 

 最新作のひとつ、『響け! ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~』のキャラクター二人の会話をどうしても思い出してしまう。

 

 

奏「頑張るってなんですか?上手くなってどうするんですか?」

 

久美子「私は頑張ればなにかがあるって信じてる。それは絶対無駄じゃない。」

 

 

 本作の核にもなっているこの会話は、作品に携わっていたクリエイターたちの頭の隅にあり続けていたと僕は思う。そして、この久美子の言葉を信じてもいたはずだ。彼らは久美子の言う「なにか」をつかめていただろうか? 志半ばの方も多くいたと考えると、本当に無念でならない。ご遺族には心からお悔やみ申し上げたい。

 現実は非情でひたすらにつらいが、それでも僕は言いたい。彼らが人生をかけた京アニの作品たちに、あのワンシーン、あのワンカットに出会えて良かった。京アニに出会わなければ、間違いなく今の僕はないのだから。復興には時間がかかるだろうし、京アニの前にはまだまだ苦難が立ちはだかるかも知れない。しかし、僕は一ファンとして、京アニが新たな物語を紡ぐ世界をもう一度見たいのだ。

 

 ワガママを書いてしまったが、京アニに支援と時間が必要であることは明らかだ。被害に遭われたクリエイターの皆様とご遺族のケアが最優先であることは明記しておきたい。八田社長の力強い言葉を信じて、僕は京アニの復興をただただ祈っている。

 

 今までの感謝と、これからの希望を信じて。

 

2019年8月1日 岡村真之介

話数単位で選ぶ、2018年TVアニメ10選

たまたまTwitterで見かけた新米小僧さんの企画が面白そうなので、年末総決算としてエントリー書いています。ルールは以下の通りです。

 

※追記(’18/12/30)

『色づく世界の明日から』#06→#13「色づく世界の明日から」に変更しました。

 

ルール
・2018年1月1日~12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から選定。
・1作品につき上限1話。
・順位は付けない。

 

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ゆるキャン△』のもつ「距離感」を最も感じられるエピソード。 しまりんとなでしこは違う場所へキャンプに行きながらも、SNSでお互いの近況を報告しあう。二人の絶妙な、心理的・物理的距離感を巧みに表現している本作の中でも、特にエモーショナルな画面が展開されたエピソードだった。

 

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母・貴子が完成を目指していた天文台に報瀬は向かい、そこで見つけた遺品のノートパソコンを開くエピソード。 貴子が行方不明になった時から送り続けていた報瀬のメールは、彼女自身が初めて開封することになる。届きようのなかったそのメールは、報瀬にどうしようもなく母の死という現実を突きつける。と同時に、亡き母を追いかけてきた彼女の時間は、届かないメールを受け入れることで再び動き出したのだった。

このメール演出は今年のTVアニメベスト演出と言っても過言でないほど素晴らしいものだった。これまでのエピソードで活動報告としてコツコツと打ってきた母へのメール描写は、このシーンをもって結実する。たとえ仲間との「旅」がどんな結末を迎えたとしても、自分自身で踏み出して歩んだという経験に価値がある。

 

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御刀をもって、荒魂を斬り鎮める「刀使」と呼ばれる少女たちの物語。

イチキシマヒメと同化し、強大な力を持った十条姫和。盟友である彼女を前にした主人公・可奈美は、最強のライバルを前にして勝負を挑まずにはいられなかった。

可奈美が持つ独特のオーラの正体は、『咲-saki-』の宮永咲を彷彿とさせる自分が打ち込むものへの狂気、冷徹、非情さだろう。可奈美の姫和に対する二律背反な態度。剣技を争う相手にかける非情さ、そして友人にかける優しさを同時に表現した屈指のエピソードであった。

 

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 主人公・カオスは同世代の漫画家と暮らす寮生活の中で、一つのネームを切り出した。それは女子高生の可愛い仕草や、友人との何気ない時間が詰まったものだった。

本作で描かれるカオスとその仲間たちの日常は、カオスその人によって作中作として描き直される。カオス自身が彼女の体験を描きなおすという行為によって、より実在感を持った「日常系」として結実したのだ。

このエピソードはまさに、表現としての「日常系」の誕生を描いたものと言えるだろう。

 

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舞台を志す少女たちにとっての演じるということ、日常を生きることが描かれた作品。

主人公・華恋が通う演劇学校に、幼馴染のひかりが転校してくる。ひかりが夕方に寮を抜け出す姿を見た華恋は、彼女を追いかけ学校の地下に迷い込む。

突如ミュージカルのように「真剣」勝負をするひかりと同級生・純那の「レヴュー」は、その口上も相まってミュージカルの形式を模したものとしての『少女革命ウテナ』における「決闘」を彷彿とさせることだろう。Aパートの日常からBパートの非日常へ、圧倒的な展開で視聴者を置き去りにする演出は見事としか言いようがなかった。「レヴュー」は同時に、舞台上で演じることと日常を生きることの間で揺らめく、彼女たちの生き様そのものを描くものだと我々は気付かされるのだ。

 

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ゲーセンで遊ぶ主人公・春雄とゲームが上手い少女・晶の交流を描く。

いつものように晶とともにだらだらとゲームに勤しむ春雄が描かれるAパートから、春雄と晶の別れを描くBパートへ。3DCGモデルながらも一枚絵を駆使しつつ描かれる情景は、高い水準を誇っていた。

 

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好きを知らない少女・侑と自分を好きになれない先輩・燈子の恋愛モノ。

侑が燈子に姉がいたという過去を知り、大胆にも燈子を姉の呪縛から解放しようと説得する場面は、この作品屈指のシーンと言えるだろう。川の飛び石を渡るところからも『たまこラブストーリー』の告白シーンを連想させるが、あのシーンとはまた違った緊迫感がここにはあった。

侑が姉のことを言ってからは、燈子の顔が見えないようなショットでこのシーンは構成されており、燈子が侑の方に振り向くスピン・アラウンドのショットでもそれは徹底されている。燈子が侑の提案を否定するショットで燈子の顔は正面から映され、その冷徹な表情が強調されるのだ。

 

  • 『SSSS.GRIDMAN』#09「夢・想」

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誰からも愛される存在としてのアカネを裕太、六花、内海それぞれに夢で見せつけ、束縛しようとする。三人はアカネの夢に囚われるが、それぞれ分断されたことで友人の欠如に気づくことによって夢から脱出するのだった。

アカネのつくる夢の世界は、日常の断片をつなぎ合わせたコラージュのようで、あり得たかも知れない可能世界を示唆する。しかし、その世界さえ綻びを見せて壊れてしまった。その脆さはアカネが装うキャラクター、つまり「新条アカネ」の脆さでもあるのだ。

 

  • 『となりの吸血鬼さん』#11「風邪の季節」

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人形や可愛いものが大好きな少女・灯と360歳の吸血鬼・ソフィーが繰り広げる日常劇。

ソフィーはふとしたきっかけで自分のオタクコレクションの整理を始める。整理をする中で、ソフィーが貯めてきたコレクションを振り返ることになるのだが、十数年しか生きていない女子高生たちと数百年を生きる吸血鬼たちのズレたコミュニケーションが日常系に批評性を与える。

日常系というある限られた時間の日常を切り抜くジャンルに、吸血鬼という長大な時間を内包した存在を登場させること。それは、描かれる日常の一コマが長い時間の一部でしかなく、それでも灯のような女子高生がその日常を謳歌しているということを浮き彫りにする。ソフィーが物語る思い出は、灯の人生のスケールとはかけ離れている。しかし、ソフィーは彼女を対等な存在として扱い、日常をともにするのだ。

スケールも価値観も全く違う二人の日常がクロスオーバーする光景は、日常系に「他者」を取り入れる挑戦とも言えるだろう。(近年でも『セントノールの悩み』(2017)『小林さんちのメイドラゴン』(2017)など近い作品もあるが、そちらは未見)

 

  • 『色づく世界の明日から』#13「色づく世界の明日から」

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 未来から時間魔法を使い、やってきた少女・瞳美とその時代の絵を描く少年・唯翔のラブストーリー。

未来へと帰る瞳美に向けて、琥珀たち6人がそれぞれの想いと別れを告げる。唯翔が瞳美への想いを押し込めたまま別れを告げようとしたその時、魔法が暴走する。

このシーンでは、瞳美と唯翔の心情に呼応するように、彼らの世界に色がついていく情景が描写される。自分の心を抑圧していた瞳美と唯翔は似た者同士であり、二人はお互いを必要としていたことに気づくことで、自分の未来を歩み始めることができた。

世界に色がつくということは、瞳美が自分と向き合い、生きる世界をアクチュアルに感じとれたということである。本作の達成はこのエピソードで見られるように、感情と表現が色という形で連動し、鮮やかに感情と世界を彩った点にある。それ故に、瞳美の目に映る花火に色がついていく様は、尊く美しいものになるのだ。

このエピソードは、まさに「色づく世界」を物語と表現の両側から体現したのだ。

 

 

 

以上です。いかがでしたか。

最近見たということもあってか、冬アニメに選出が偏ってしまいましたが、今年は本当に質の高いアニメを多く見ることができました。

特にこの中では『宇宙よりも遠い場所』など、大きな衝撃を受けた作品がありました。またアニメーション映画でも、『リズと青い鳥』など多くの傑作が出現しました。よい作品をたくさん見れる幸せを噛み締めて今年を締めくくれそうです。

 

 

 

29日からはコミックマーケット95が開催されます。私は二媒体に論考を書いております。

 

1日目→「Snow Rabbit」東ヘ27b

『月刊うさしん』

「ポスト日常系試論-『こみっくがーるず』の出現」

こちらは個人誌です。

 

3日目→「『アニメクリティーク』刊行会」東J37b

『アニクリ vol.9.0』

山田尚子の見るセカイ-『涼宮ハルヒの溜息I』試論」

こちらは合同誌の寄稿論考です。

 

冬コミいらっしゃる方は是非こちらのブースにお越しください。よろしくお願いします。

『心が叫びたがっているんだ。』レビュー

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 『心が叫びたがっているんだ。』は2015年A-1 Pictures制作の劇場版アニメーション。『とらドラ!』、『とある科学の超電磁砲』、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(以下、『あの花』)、『あの夏で待ってる』『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』(以下、『オルフェンズ』)などで監督を務めた長井龍雪監督。脚本は『とらドラ!』、『あの花』、『オルフェンズ』で長井監督とタッグを組んでいた岡田麿里だ。

 物語は『あの花』と同様に、岡田の出身地・秩父を舞台に繰り広げられる青春群像劇だ。主人公・成瀬順は小さい頃に父親がラブホから出てくるところを目撃し、不倫とは知らずにそのことを母親・泉に伝えてしまう。そのことがキッカケで両親は離婚してしまった。落ち込んでいるときに順は謎の「玉子の妖精」に出会う。「玉子の妖精」は順が無闇に思ったことを口にしてしまう癖を咎め、喋れないように呪いをかける。それ以来、順は言葉を発しようとするとお腹が痛くなるため、無口な少女になっていた。

 時間は流れ、順は高校生になった。ある日、「地域ふれあい交流会」実行委員に担任教師・城嶋一基から順を含めた4人が指名されてしまう。もう一人の主人公・坂上拓実、仁藤菜月、田崎大樹がそのメンバーだ。先生の勧めるミュージカルに魅力を感じてしまった順は、歌に乗せて自分の伝えたい気持ちを言葉にするべく拓実と一緒にクラスでミュージカルを行うように働きかけていく。順は未だ喋れないままだったが、歌なら腹痛が起きないことが判明したからだ。そうして新しい人間関係ができていく中で、4人の過去が浮かび上がり、絡み合っていく。

 長くなるので詳細は省くが、紆余曲折がありながらもミュージカル本番の前日、順は拓実と菜月が話している場面に遭遇し、想いを寄せていた拓実が自分のことを好きではないという発言をしている場面を盗み見てしまう。拓実が自分ではなく菜月がまだ好きなんだと悟り、ショックで本番当日に予定をキャンセルし、昔のラブホ跡へ彼女は向かった。

 大混乱に陥った拓実たちクラスのメンバーは、主役であった順の代役を立てて拓実に順を探しに行かせることに決める。拓実は順と初めて会ったときの会話を思い出し、彼女が無口になるキッカケの場所、ラブホ跡を目指す。順を見つけた拓実にかける言葉は無かったが、順が思っている本心を全部吐き出すように彼女に要求する。彼女は拓実への不満を全てぶつけ、拓実は彼女の言葉を噛みしめるように頷く。拓実は彼女の本当の言葉を受け、その言葉を聞けて嬉しくなったから、順の言葉が人を不幸にするという彼女の思い込みを身をもって否定したのだ。そのあと順は想いを寄せてきた拓実に告白をするも、その返事は予想通りに断りの言葉だった。

 順と拓実は学校に走り、順は最後のオオトリを歌いきり、ミュージカルは終演を迎える。順の言葉はその歌に乗り、全ての人に伝わる。もちろん彼女自身にも。彼女が自分の言葉を取り戻すことでこの作品は幕を閉じる。

 

失うことで実感する「言葉」の力

 人の気持ちは言葉にしないと伝わらないことはよくあり、それだけに言葉は大きな影響力を持つ。順は幼い頃に言葉の暴発を経験してしまったある種の被害者だ。どう考えても不倫をした父親の方が悪い。しかし、母親から告げられた喋らないでという禁則の命令と離婚した父親からかけられた心無い責任転嫁によって、順は「玉子の妖精」という皮を被った自分自身への強い禁則の暗示をかけてしまうことになる。これは緘黙症と呼ばれる、ストレスで話せなくなってしまう病気に近い状態かも知れない。腹痛もストレスによるものと解釈できる。このように、彼女がとても不幸な形で言葉を失うところから物語は展開される。

 言葉を失った彼女は高校生活を静かに送っているわけだが、腹痛を我慢すれば喋れるという設定もあってか無口な少女程度で生活を送れている。しかし、人並み以上に気持ちを言葉にしたい彼女にとって、言葉を失うことは相当の苦痛だったに違いない。彼女はミュージカルに興味を持ち、歌を歌ってなら自分の気持ちを伝えられることに気づく。こうして、拓実に助けられながらミュージカルに取り組むことになる。

 順は言葉を発せられないながらも、ミュージカルの物語を考えていく過程で拓実とコミュニケーションを図っていく。言葉を介さずとも拓実と心を通わせていく反面、お互いのことをそこまで深く知ることができていないことに順は思い悩むことになる。しかし、これは誰しもが感じている普遍的な問題だ。拓実も親の離婚をきっかけに、中学のときに付き合っていた菜月をはじめとした周りの人間とのコミュニケーションを閉ざしていたのだ。順が喋れないせいではない。普段、普通に話すことができる人でも言えないことはたくさんある。一言で人間関係が円滑になるのに、その一言の暴発を恐れるせいで言葉が出てこないのだ。

 自分が抱えていた拓実への想いを、順がありったけの言葉にのせてぶつけるシーンがある。言葉は人を傷つけることもあるが、人を喜ばせることだってできることをこのシーンは教えてくれる。言葉は大きな力を持つ故に慎重に選び、発しなければいけないのだが、かと言って言葉を放棄すれば自分の抱えている思いが相手に伝わることはない。特に、劇中劇の少女の心の声として登場する順の歌は、彼女が自分の気持ちを表明する、作中で最も力強い詞だった。長年伝えられなかった母親への気持ち、そして自分で言葉を発せられない無念さを叫ぶことで順の中でも言葉を取り戻す踏ん切りがつく。自分に暗示をかけるのもその言葉だったが、それを解くのもまた自分の詞であった。

 『ここさけ』は、人を動かしていく「言葉」の力を青春群像劇という形で示した作品になっていると思う。人に話しかけてみよう、そんな提案から始まる物語だ。